勘違い

先日、ブログ再開します、的な文章を書いたら、特にHPと紐付けているわけではないのに、見てくれてる人がいる(閲覧人数だけカウントされて見られる仕組みになっている)ことに気づきました。もう少しいくつかたまったら、HPとリンクしようと思っている(つまり継続する自信がまだあまりないってことだね)ので、気長によろしくお願いします。


さてなんだか世の中が動き出してきて、めっぽう忙しい。クロワズモンという飲食店は、基本的に金曜日と土曜日しか開けていないので、他は暇だと思われているのですが、営業日のほうがむしろわたしにとってはご褒美(よい材料で存分に「自分の」料理ができるし、会いたいひとが突然会いにきてくれたりするし、なによりも、おいしそうに料理を食べてくれるみなさまの顔はわたしにとって最大の癒やしです)のような位置づけで、むしろ平日はとっても忙しい。


「忙しいです」とあまり言いたくないので、わりと意図的にゆるりとしているのだが、それでもあまりに相手の想像にギャップがあるときは、明確に説明する。わたしは見た目がぼんやりしているので、あまり自己主張が強くないと思われがちで、それがこういうときとても困るのです。


この例に限らず、いろんな場面で、わたしが急にはきはき明確に自分の意見を述べだすと、さーっと相手がひいてしまうことがよくある。怒り出したり、明らかに不愉快そうにしたりもよくされる。そこを器用におべんちゃらを使いながら、さくっと対応できたらそれが「大人」というものなのかもしれないけれど、悲しいかなお世辞を言うこともすごく苦手なので、それが上手にできない。


でもそのギャップ(相手の勝手な勘違い)は、こうして自分で仕事をしていくのにはわりと大きな障害であったりする。うすうす感じてはいたけれど、夫と一緒に仕事をするようになって、夫が傍から見て同じようなことを言っているので、やっぱり実際にそうなのだろうね。まぁ夫は、「うさぎだと思って話しかけたら、うさぎの着ぐるみを来た狼だった、みたいなものだよ」と言ってげらげら笑っているのだが、それにわりと救われたりする。


世の中、ジェンダーレスとか多様性とかよく言うけれど、そういうことの根本的な問題は、「自分で勝手に相手の性質を勘違いして、それと実際が違ったときに、嫌悪感が表面に出てしまうこと」なんだといつも思います。自分もしているだろういろんな勘違い。物事の本質なんて、そうそう簡単に見えるものではないからね。


でも、その勘違いも、「あ、勘違いだった!」ってたやすく認める余裕があれば、きっともっとみんなが気楽に生きられるのにね。


そんなつぶやきではじまりましたが、昨日イベントで会えたいろんな人からのエネルギーを糧に、今週はよきスタートでございます。

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